君が枕に希う



夜半から降り始めた雨がさらさらと庭に降り積もって、曇天を通した光は青く大気を染めている。夜明けは忍び入るように密やかにやってきた。幾分か冷える濡れ縁を、夜番を終えた の脚が踏む。瞼を上げるとそれでも日光は目に痛かった。
先ほどから何度も何度も欠伸が出て、とろとろと眠気が追ってくる。自室へ戻った彼女は布団を広げるのも億劫に感じたのか、横になるとそのまま目を閉じてしまった。程なくしてそれが静かに上下を始める。


浅い眠りから覚め、軽く朝餉を摂った三成は小姓を呼んだ。顔を見せた者が目当ての者ではなくて、代わりに彼に問う。
はどうした」
「夜番が済みました故、自室へ。今、呼びましょう」
「いい。私から行く」
彼女に写しを命じた書状を求めて、三成の脚は の部屋へ向かった。早く済んでいるならその方がいい。
屋根から垂れた水が土を抉って、深く小さな水溜りが濡れ縁を縁取っていた。ひやりと濡れるような感触が足袋の下に感じられる。

障子が、片足が入るくらい開いていた。居るのか、と声をかけた。だが、返事も、物音もしない。暗い室内に目が慣れて、浮かんだのは丸くなった背中だった。
寒そうに四肢を縮めて、猫のようになった身体が羽織も脱がずに横たわっている。覗き込んだ顔は固く目を閉じて、静かに呼吸を繰り返していた。
何故だか、起こすのは気が引けた。彷徨う視線が隅に畳まれている掛け布団を捉えて、彼はそれを肩が隠れるように念入りに被せる。
目を文机にやると書状のうち半分以上が写しを終えていて、墨を乾かすために広げられていた。持ち帰ろうと腰を上げかけると、それを阻まれた。
が両腕で深く、三成の腰を縋りつくように抱いている。
「おい」
起きたか。何をしているのか。
頭に手をやって引き剥がそうとすると、まだ夢に片足を突っ込んだような顔が見上げてきた。掠れた舌足らずな声が言う。
「夢でしょうか」
「…ああ、夢だ。だから」
布団で寝ろ、と拒絶するが、 はますます固く腰を抱き込む。
「三成様が夢枕に現れるなんて、勿体無い」
駄々を捏ねているような声色で は三成の膝へ頭を載せた。位置が悪い、と内心冷や汗をかきながら三成はそっと唾を飲んだ。
「夢なら、もう少し一緒に居てください」
甘えを含んだ声が喉の奥辺りを擽って、三成は知らず自分の口元に手をやって目線を逸らした。
「三成様」
「…なんだ」
ほだされていることを意識しながら、三成は腰を落ち着けた。居てくれることを感じ取ってか の拘束が弛む。
「三成様もお休みになっているのでしょうか」
「明ける前に少し眠った」
ほんとうですか、と念を押した声は小さい。
夢と現実が混ざりあっているのだろう、いつもの彼女より柔らかさを増した話し方をしている。三成は目の前にいるのに、別の遠い場所にいるような話し方をする。
「三成様は、近頃ちゃんと眠られていません」
「貴様に心配を掛けられる筋合いはない」
「行灯の油がしょっちゅう切れます。夜が明けるまで障子から灯りが見えます。隈が濃くなられたように思います」
腰の辺りの三成の着物を、 の手が弱く握った。いたって真面目な声色で、彼女は続ける。よく見ている、と三成は腹の中で舌を鳴らした。
「私が」
彼女は言いかけて暫らく口を噤んだ。
雨が会話の隙間に入り込んで、畳を侵食していく音がする。
日頃 が口籠もることはない。
声帯を通す前に、言うべきか言わざるべきかを判断して口にする性質だった。だから、三成はその様子に眉を寄せた。
「なんだ」
「………」
「これが夢だと思うのなら、言え」
持て余した三成の片手が、 の脚へ布団を掛けなおす。小さく纏まった身体は、夢の内容を話すような浮ついた声を発した。
「ずっと思っているのです」
小さな声は、雨音ばかりが大きい座敷に消え入りそうだった。
「もっと私が秀吉様のように強かったなら、もっと私の頭が半兵衛様のように良かったら、もっと私が大きな石高の将であったなら、もし私が男だったなら」
話し出してしまえば、それらは彼女の喉から糸がついているかのようにするすると滑り出た。
「豊臣の世を誰かが疑うこともなくて、皆が離れていくこともなくて、三成様も健やかにいられる」
適わぬ願いを渇望する子供の顔ではなかった。上を見上げるばかりで手も伸ばさぬような宙を掻く声ではなかった。
至って真面目な顔で、彼女は三成の膝へそれを息にして吹きかける。
は、強くなりとうございます。強くなれば、三成様があのように無理をされて努められなくともよいのです」
大きかったはずの雨の音が遠ざかるのを、三成は感じた。喉から震えた振動は、既に起きたことを話すような色を持ち始める。
彼女は、この豊臣の状況を、世の動きを、全て自分の無力によるものだと思っている。
自分がより高まれば、より大きな存在になれれば、全てが変化すると思っている。
自責を両肩に勝手に背負っている。
「きっと、強くなります。だから」
もう少しだけ、待ってほしい。
「そのように貴方に請う、私を、許してください」
最後の言葉だけは、ひどく弱く、座敷に響いた。
息遣いが聞こえるようだった。
そしてやっと、三成は息を吐くような密やかさで言った。
「そうか」
「三成様には、黙っておいてくださいね」
当の三成は答えなかった。語尾を弱めた彼女の両目が何度かゆっくり開閉して、ついに閉じたまま開かなくなった。
彼はそのまま、静かに寝息だけを発する彼女のつむじの辺りを凝視していた。


様」
言ってすぐに障子を開けた小姓は音がするくらいに驚いて、次いで深く頭を下げた。
「失礼を、」
「構わん。布団を敷け」
「はい」
彼は腰に縋りつくようにして眠る とされるがままの三成を見ないようにして、寝所の準備をした。そこへ を寝かせてから、三成は小姓と共に濡れ縁へ出た。
紙を手で千切ったような、歪な亀裂が薄く曇り空に走っていた。すぐ傍で鳥が飛び立つ。雨が止んでいる。
自室の前まで来て、書状を忘れたことに気がついた。
(いや、持って来させよう)
足元へ倒れた薄い光の帯が、障子を開けたことで室内にも侵入した。天気はよくなりそうだ。きっと彼女は昼過ぎまで起きてこない。
筆に手をやって、止めた。息を吐く。額に掌を押し付けた。
「馬鹿か」
障子の向こうで小姓が顔を上げた。独り言と気付いてまた伏せる。
気付いたら、腹に手をやっていた。
温もりを除きたいのか、留めておきたいのかは、わからない。


End.


こいねがう、と読みます

豊臣末期のころ
三成は3でこそああいった感じですが実は凄く有能だというところを前面に押し出したかった
じゃないとあんなに心配してくれる部下ついてこないよ
...10/12/01 ペポはる

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