「まあ、誰も来なかったですよねー」
ヒノトは東国の図書館から帰ってきたところだった。
もちろん、津波が起こる原因について調べていたのである。……どうやらレベッカの言っていたことは真実であるらしい。それが人為的なものであるのは、明らかであった。
だからなんなんだ、後ろを見るな前を見ろ、と言われたばかりだというのに、この様とは……ヒノトは自身に嘲笑した。
「すみません……」
あの会議の日から数日間、僕と柊はレベッカに張り付いていた。しかし、彼を殺そうと狙う影などなく、ついに警戒を解くことになったのだ。
ヒノトは顔が熱くなった。レベッカが狙われてさえいないということは、ヒノトが聞き間違えて勝手に慌てていた、ということなのだ。……実は、聞き間違えだと少し前から自覚していたのだけれど……それについては、後で語ろう。
「俺はアイツなんて死ねばいいのに……って思ってる派ですし」
「そんな派閥いらないです」
二人はずっとレベッカを見張っていたのだが、二人がぼんやりと見ている間中、レベッカは一国の王として国の戦力を整えていた。王様の仕事とはなんとも不思議なもので、難しい会話や書類に目を通したりという淡々とした作業のみであり、二人からすると欠伸が出るほど暇なだけだった。
けれど、そんなレベッカの動きもあってか、東国と西国との激戦区に僕らは近々赴くこととなった。一カ所だけで、東と西が争っているわけではない。以前とはまた別の激戦区に、応援に行くのである。
「だから、今しか自由時間がないということですねー」
柊は、レベッカの言葉に縛られる必要などなかった。クレスを人質に、ヒノトに東国として戦って欲しいと言われたあの日から、一年程経つ。今もなお、その約束が効力を発揮しているのかは定かではないが……クレスなんてレベッカと遊んでいるし、僕だって勝手に外出している。柊やシェイドは僕が心配で東国にいてくれる。なら僕は……何故東国にいるんだろう?
東国に居なくとも、僕らが元に戻る方法を、捜すことはできるだろう。皆で遊びに行くだとかこじつければ、今のレベッカからなら簡単に逃げることだってできるだろう。
そうわかっていても……ここを離れたいと、思わなかった。
……そう思ってしまったのは、多分、帰る場所がないから、だった。
海の町は……確かに“僕”が帰るべき場所ではあるかもしれないが、“黒狼”が帰るべき場所ではない。
人というものは、いくら孤独を語っても、必ず何かに『所属』しているものだ。例えるなら、ワタシは一人だとか思っていても、結局ワタシは女というグループに入っていたり、家族というグループの娘という称号に位置していたりするのだ。
黒狼が所属しているのは、また、別のグループなのである。僕とは違って。
……黒狼は確かに“所属”しているのに、その“グループ”に帰れないんだ。なら、どうすればいい? 他の“所属”や“グループ”を求めるしかないだろう?
ヒノトは、黒狼に言おうとしなかったけれど、
……元に戻る方法を見つけるなんて、無理ではないか、と思い始めていた。
この一年間、東国で、“僕らの目的”に関係ありそうな本は片っ端から読んだ。それをした上で、思ったのだ。
これからもこの東国で、じっとしているのも、黒狼にとっては未だ幸せかもしれない、と。
此処にいれば、たまたま世界のはじまりの樹のミュウに、会えるかもしれないし。
科学者のアーノルドが捜すなら未だしも、専門知識などありもしない僕らが捜しているのだ。そんなの、見つけろという方が酷だろう?
アーノルドといえばアーノルドで、
「俺にもお手上げだぁね」
と、彼の残留思念が答えるだけだった。
その所為もあってか、あの威勢のいい黒狼もだいぷ消極的になってしまい、ただぼんやりと樹を見つめるだけの生活になっている。ヒノトはそんな黒狼を見る度、自分なんて存在しなければよかったのに……そう、思った。
「例えば、テレパシーだとか」
レコットが言った。
……因みに、これは先の会話よりも以前の話になる。時間軸でいうと、クレスントが“青い髪の女”という言葉を残して去っていった、すぐ後の場面である。
その頃のヒノトは、レベッカも心配であったが、それ以上にレコットのことが気になっていた。一旦、“会議室”での話に戻る。レベッカの“今戦争中の相手国と平和条約結べるかも”と“今戦争してるのは西国とだけ”いう台詞により、“レベッカを殺す”と言っていた会議相手=西国の者であるというのは解っていた。……ここまで解る? 少し難しい? ごめんね。
しかし、西国に所属しているはずの彼女は、レベッカに目もくれず“レコット”の方を気にしていたのだ。
……ここで、ヒノトは“会議室の話”が自分の聞き間違いであったと自覚する。
本当は殺されるのは……レコットだったのではないか? ほら、どっちもレが付くし……なんて言うと押し付けがましいかな。
だから、クレスントが去った後、ヒノトは急いでここに来て、レコットに“西国に狙われているから外に出ないように”と忠告したのだ。
数日間、一応はレベッカの見張りもして、度々レコットの様子を見に来ていたけれど……今、どちらも生きているのなら、僕の考えは正かったのではないだろうか?
……もう、話を戻すとしよう。
「テレパシー?」
「そう、世界のはじまりの樹に向かってビビビビビッ! そうしたらミュウちゃん気付いてくれるかもなのですよ」
「……あの樹周辺は空気が捻じ曲がっていて、テレパシーは届きませんよ」
「じゃあじゃあ、ポケモンちゃんに頼んでミュウちゃんを呼んできてもらうとか」
「……ミュウが居るのは奥深くです。野生のポケモンでも無闇にそこに近づくと、“樹に排除”されます」
そう、この女……レコットは、黒狼の存在を知っている上に、黒狼の“あの樹のミュウに会いに帰りたい”という願望さえ知っていたのだ。
流石にヒノトも変な気分になった。黒狼が“あの樹の青いミュウ”であることなんて、クレスや柊にだって言ってない。だというのにレコットは、知っているのだ。
「じゃあやっぱり、ミュウちゃんが麓まで下りてくるの待つしかないのですよー……はぁ、ざんねん」
「……レコットさん」
「キリッ! お姉さんと呼ぶがいいのですよ!」
面倒な性格は相変わらずだった。
しかしこの流れを既に数度経験しているヒノトは、無視して会話を続ける。
「何故、黒狼を知っているんですか」
ヒノトは、今度こそこの話題から逃げられないようにと、しかとレコットの目を見る。この行動も言葉も、既に数度行った。……いつもは、軽くあしらわれて終わるだけだった。
けれど……今回は違う。未来が、書き換わったのだから……
「今は未だその時ではない」
レコットの唇が、淡々と、そう動いた。
「うふふ……それはね、お姉さんが“言うに値すると判断した時”に言ってあげるのですよ」
「……それはいつ、なんですか?」
レコットは、ヒノトにと出していたコップに紅茶を淹れる。
「なっ」
そして彼女は、ケーキを切る為に使っていたナイフを持ち上げ ―― ヒノトの首元に、刃を向けた。
ヒノトは驚いて、反射的に、武器に手を掛ける。……しかし、その刃は僕の喉頚を掻っ切ろうとはしておらず、ただ、“向けている”だけであった。
「例え黒狼ちゃんでも、心臓を貫かれれば死ぬし、頭が無くなっても死ぬ……君が死なない限り、真実を言うべき時が必ず、来る」
レコットは真っ直ぐな瞳で見つめる。……その言葉は暗に、僕に“死ぬな”と訴えかけているようであった。ワタシは、キミに生きて欲しい……そう、彼女の唇が動いた気がした。
そう、いつものあしらわれて終わりでは、なかったのだ。どこで何のフラグが立ったのかわからない。どの台詞が、行動が、レコットのこの行為に繋がったのかはわからない。
……無理にレコットの隠し事を聞き出そうと思えば、それこそ武器を使うだとかすれば、聞き出すことはできた。けれど今まで、ヒノトはその選択肢を選ぼうとはしなかった。これからも、その選択肢を選ぶことはないだろう。
レコットは屈託なく、無邪気な子供のように笑った。
そんな姿を見てなお……刃を向けるだなんて、ヒノトには出来ないのだ。その甘さが自分の弱みであると、気付いては……いるけれど。
レコットはナイフを皿に戻して、ティーポットを手にしキッチンに向かう。ヒノトに出した紅茶の所為で、中身がなくなったのだろうか。
……今日ならば、レコットの出す紅茶を少し位飲んでやってもいい気がした。
そもそも、毎度毎度意地悪で紅茶を飲まないわけではない。僕が単に、紅茶が苦手なだけだ。けれど、飲まないのにいつも紅茶を淹れてくれる彼女を見ていたら、今日位飲んでやってもいい気がしたのだ。
……飲んだら、レコットが何者なのか教えてくれるのだろうか。そんな淡い期待を胸に、ヒノトは紅茶に口をつけた。
一言で言う。
駄目なものは、駄目だった。
「へっへっへっへっ初めてお姉さんの紅茶飲んで貰ったのですよへっへっへっ!」
レコットはそう言ってしこたま喜んでいた。それならそれで良かったのかもしれない。変な味がすると言ったら、オリジナル・ブレンドだおと言っていたけれど、まぁ、良かったのかもしれない。
……不味いとは、口が裂けても言えなかった。
小屋の外で両手を振って見送りをするレコットを尻目に、ヒノトは吐きそうな位気分が悪い状態で帰ることになってしまった。
「彼女も待っているんだ」
ふと、アーノルドが呟いた。久々に、残留思念の分際で出てきて、と黒狼が猛る。
しかしアーノルドは何も答えず、ただ、言い続けた。
「もちろん俺でも君たちを、でもないよ。彼女は、」
アーノルドは、にこりと笑った。
「お、おい ―― 」
黒狼が彼の思念に手を伸ばすと、彼はまたいなくなってしまった。
全く、気侭なものである。言いたいことだけ言って、僕らに答えを理解させずに帰っていくのだ。
「なんなのだまったく! どいつもこいつも……」
「まぁまぁ……僕は、真実を話して頂けるまで待つべき、だと思います」
「……隠し事は気に食わん」
「相手側にも打ち明けるための心の準備が必要だから、隠しているんですよ」
「……そういうものなのか?」
ヒノトはふと、小屋の方を振り向いた。
森の奥には、唯暗闇が広がるだけであった。
黒 狼 の 悲 願 。 ( スペース )
( 09/03/14 )